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名前の由来

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蔵六鮨、名前の由来

1.名前の由来は

「蔵六」・・・何かすし屋さんらしくない、変わった名前でしょ!
実はヒトの名前なんです。当社の創業者が、山口県鋳銭司(すせんじ)出身で、同郷の村田蔵六。後の大村益次郎にちなみ命名いたしました。大村益次郎につきましては司馬遼太郎氏著『花神(上中下3巻)』 に詳しく記述されています。

2.生まれた時の名は惣太郎それがなぜ蔵六に!

惣太郎28歳のとき、宇和島藩に招かれ、藩の命により村田蔵六と名乗ることになる。その蔵六には、亀の異名もあり、蔵が6つ、着実に収めるドン亀・・・どう見ても商売向きの名前だと考えたのでしょう。そこでお店のロゴマークも亀の亀甲を型取って六角形を入れたマークとなりました。

3.またまた蔵六から・・・名前が変わるのか?

文政8年(1825年)5月3日生まれ、父は藤村孝益、母うめの子として生まれ、三歳の時に、村田家の養子となる。村田家は、医者、百姓、そして寺小屋の先生もしていたそうです。ですが身分は百姓という。
17歳になった惣太郎は医学を学び、18歳で大分に出かけ漢学を学ぶ、そして21歳で大阪の適塾でオランダ語をはじめ西洋医学を学び、26歳で結婚し、実家に戻り家業の医者となるが、28歳の時に宇和島藩から招かれ、村田蔵六と名乗ることになる。その後藩の要請で江戸に出た益次郎は、桂小五郎と知り合い、それを機に長州藩に招かれ、軍制度を飛躍的に進歩させる。その時、蔵六40歳。長州藩は功績を称え、蔵六を武士の身分に取り上げ、大村益次郎の名を与える。

4.大村益次郎は何をした人?

江戸から明治に変わる幕末の戦いが始まり、薩摩、長州、土佐藩が中心と成り江戸城に入り、新しい政府を作る。益次郎は政府の陸、海軍の司令官として江戸に派遣されるが、その頃江戸では武士達が彰義隊を作って政府に反旗をひるがえすが、上野において彰義隊を破り(上野戦争)、その後の戊辰戦争での功績により永世禄1500石を賜る。7月には兵部省・兵部大輔(ひょうぶのたいふ)に任ぜられ、木戸孝允(桂小五郎)、大久保利通と並び新政府の幹部となる。
益次郎は、武士を廃止して国民皆兵の方針により近代的軍隊の建設に努力しました。日本の国は日本人全部で守るべきだという考えのもとに、新しく徴兵制をしき、全国民のうちから、身体の丈夫な、精神の強い知識の優れたものを採用し、外国にひけを取らない近代的国軍の建設を計画しました。ただ、この計画を必ずしも好ましく思わない武士たちの不満が高まり、益次郎は討たれ、明治2年(1869年)11月5日45歳で志半ばで亡くなります。
馬に乗るのが大変へたくそで、無類の豆腐好きだったそうです。今も靖国神社で立像となって国を守っています。

蔵六鮨、名前の由来
蔵六鮨、名前の由来
蔵六鮨、名前の由来
蔵六鮨、名前の由来